1.急求日语论文谢辞
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谢 辞 本论文をまとめるにあたりまして、指导教官のXXX先生にいろいろご指导とご支持をいただき、また、日本语学部のほかの先生よりもいろいろご助言をいただくことに心よりお礼申し上げます。资料収集やコピーの面でご协力くださった日本语科の先生方、友人达に感谢の意を表したいと存じます。 卒业论文を书く途中、私の知识の足りなさに悩んでいる时にクラスメートと家族に励ましていただきまして、ここで合わせて感谢申し上げます。
また、XXX先生のご指导のおかげで、入学したときから、まじめに勉强する习惯を身につけ、この习惯は一生役に立つと思います。再び心より感谢いたしたいと存じます。
この卒业论文は私の研究活动のはじめで、今后ももっと勉强し、その中日文化交流についてさらに研究していきたいと存じます。
2.日语论文的はじめに都写些什么,我看日语论文范文的はじめに一般
はじめに 在中文论文里就是“前言(摘要)”的意思。写的内容包括有:
1 、为什么要写这篇论文,动机是什么
2、这篇论文是怎么个论证过程。用什么手法论证。
3、这篇论文最终要起到个什么作用。对作者,对论文写的对象有什么影响。
论文摘要的书写规范
摘要是对论文的内容不加注释和评论的简短陈述,要求扼要地说明研究工作的目的、研究方法和最终结论等,重点是结论,是一篇具有独立性和完整性的短文,可以引用、推广。
撰写摘要注意事项
①不得简单重复题名中已有的信息,忌讳把引言中出现的内容写入摘要,不要照搬论文正文中的小标题(目录)或论文结论部分的文字,也不要诠释论文内容。
②尽量采用文字叙述,不要将文中的数据罗列在摘要中;文字要简洁,应排除本学科领域已成为常识的内容,应删除无意义的或不必要的字眼;内容不宜展开论证说明,不要列举例证,不介绍研究过程;
③摘要的内容必须完整,不能把论文中所阐述的主要内容(或观点)遗漏,应写成一篇可以独立使用的短文。
④摘要一般不分段,切忌以条列式书写法。陈述要客观,对研究过程、方法和成果等不宜做主观评价,也不宜与别人的研究作对比说明。
撰写英文摘要注意事项
以上中文摘要编写的注意事项都适用于英文摘要,但英语有其自己的表达方式、语言习惯,在撰写英文摘要时应特别注意。
扩展资料:
论文书写一般结构
论文一般由题名、作者、摘要、关键词、正文、参考文献和附录等部分组成,其中部分组成(例如附录)可有可无。
论文题目
要求准确、简练、醒目、新颖。
目录
目录是论文中主要段落的简表。(短篇论文不必列目录)
内容提要
是文章主要内容的摘录,要求短、精、完整。
关键词定义
关键词是从论文的题名、提要和正文中选取出来的,是对表述论文的中心内容有实质意义的词汇。关键词是用作计算机系统标引论文内容特征的词语,便于信息系统汇集,以供读者检索。每篇论文一般选取3-8个词汇作为关键词,另起一行,排在“提要”的左下方。
主题词是经过规范化的词,在确定主题词时,要对论文进行主题分析,依照标引和组配规则转换成主题词表中的规范词语。(参见《汉语主题词表》和《世界汉语主题词表》)。
论文正文
(1)引言:引言又称前言、序言和导言,用在论文的开头。引言一般要概括地写出作者意图,说明选题的目的和意义, 并指出论文写作的范围。引言要短小精悍、紧扣主题。(2)论文正文:正文是论文的主体,正文应包括论点、论据、论证过程和结论。主体部分包括以下内容:
a.提出问题-论点;
b.分析问题-论据和论证;
c.解决问题-论证方法与步骤;
d.结论。
参考文献
一篇论文的参考文献是将论文在研究和写作中可参考或引证的主要文献资料,列于论文的末尾。参考文献应另起一页,标注方式按《GB7714-87文后参考文献著录规则》进行。
论文装订
论文的有关部分全部抄清完了,经过检查,再没有什么问题,把它装成册,再加上封面。论文的封面要朴素大方,要写出论文的题目、学校、科系、指导教师姓名、作者姓名、完成年月日。论文的题目的作者姓名一定要写在表皮上,不要写里面的补页上。
参考资料:百度百科-论文
3.关于日语花道方面的论文怎么写啊 帮帮忙了 谢谢
六世贞松斎米一马(芦田春寿)は、明治十一年(1878年)8月16日に群马県前桥市の医师桜井伝三の三男として生まれますが、母亲は身体が弱く病床にありがちだったため、东京日暮里の祖父母のもとで育てられました。祖父宅の近くには初世贞松斎米一马の菩提寺である径王寺があり、幼年のころよくその境内の华神塔のまわりで游んだとのことでした。
六世がいけばなの道にはいったのは、幼年期病弱であった春寿が、何年かののち群马県伊香保に脚気疗养に出かけ、保养のかたわら初世の孙弟子にあたる二世贞草斎一寿、贞照斎一果、贞泉斎一得らから正风の挿花の手ほどきを受けたことが直接の契机でした。以后远州流花道を志すことになったのです。
そして、明治二十九年一月、晟照斎一寿を号することを许され、さらに同年の秋には、土佐の贞春斎一英の四世宗家継承にともない、その前号一英を流内の人々の希望を受けて袭名することになりました。
明治三十一年には、京都访问を果しましたが、途中病に倒れ、その后しばらく叶山の长者园で静养することになります。その间、东京小石川の四世宅を访ね、花道について会话を重ねたといいますが、これがもとで 初世米一马などの歌を集めた远州流挿花前百首,远州流挿花后百首を编しています。
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